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京都銀行時代、最も長く従事した仕事は新規融資先の開拓でした。いわゆる、飛び込み営業ってやつです。毎月、名刺3箱(300枚)を手渡され、来る日も来る日も朝8時35分になると「はい、行ってらっしゃい」ですよ。京都がいくらメガバンク、メガ信金が乱立競合する土地とはいえ、何といっても京都銀行は第一地銀。考えてみれば、地元京都で京銀と取引が無い企業を探すほうが難しいわけで、犬も歩けば京銀得意先に当たるってくらいでした。
そういう状況下で京銀と取引が無い企業っていうのは、それなりの理由が存在するんです。例えば、創業時に融資を申し込んで断られたとか。ですから、靴がボロボロになるほど歩き回って、ようやく未取引先に出逢えたとしても、そういう企業はそもそも京銀がキライなわけですから、そりゃもう突風並みの風当りでした。罵声を浴びせられたり、塩を撒かれたり。こりゃ、エラい仕事に就いてしまったなと思いました。現実を受け入れるのにしっかり一カ月かかりました。
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実はこの部署、配属前の噂では、花形 と聞いていました。名刺は、「京都銀行 営業推進部」。本部付けで、天下の京都銀行の本部から参りましたってわけですから、それはもう凄いステータスです。全行員3,000人強の中から選ばれし出世頭の50人に入れたぞ万歳!でした。事実、それはまんざら嘘じゃありませんでした。
当時の仲間たちの多くは現在、支店長や本部の部長級で活躍中です。あー、僕も辞めなきゃ良かったかな(笑)。飛び込み営業はとても大変でしたが、まだヒヨっ子だった僕らに会社があの仕事を命じた裏には、若いうちに世間の厳しさを身体で感じて来いよ、という親心ありきだったのでしょうね。ありがたいことです。
全く見ず知らずのお客様と徐々に人間関係が構築され、やがては融資取引に結びつく。その時、企業が繋がっている先は銀行じゃないんです。担当した人と繋がっているんです。そこがたまらない。だから、思い入れが半端ない。この仕事の虜になるのに、そう長くはかかりませんでした。
だって想像してみてください。貯金を預かるんじゃないんです。融資をするんです。そのためには、お客様は僕の前で丸裸にならなきゃいけない。決算書、年収、家族構成から生い立ちまで、ありとあらゆるデータをオープンにしなくちゃいけない。だから信頼関係がすべてだし、絆が生まれるんです。
当時のお客様とは20年近く経った今も、仲良くお付き合いしています。
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